120 番 線

「ドイツ〜オーストリア 鉄道の旅」
鉄道アルバム掲載

  

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「これは以前にドイツ〜オーストリアを鉄道で自由旅行したときの記録です。 これからドイツ方面への旅行を計画している方や、ヨーロッパ好きの方に一緒に楽しんでいただけたら幸いです。」

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1.
鉄道アルバム

2.旅行記

第1日目「さあ!夢にまで見たドイツ入国」
第2日目「フランクフルト市内観光&ライン川クルーズ」
第3日目「ハーメルンの笛吹男に会いに・・・?」
第4日目「文化と芸術の古都ヴュルツブルク」
第5日目「ロマンティック街道の目玉?!ローテンブルクの表と裏」
第6日目「ミュンヘン、ノイシュヴァンシュタイン城、オーバーアマガウ・・・欲張りな一日」
第7日目「ハプスブルクの栄華を訪ねて?!いよいよウィーンへ」
第8日目「『エリザベート』観劇、ああ、最後の晩餐」
第9日目「最終日は買い物に走る?!」



10月30日(ドイツ入国)
フランクフルト・マイン国際空港に到着した、いよいよここから鉄道の旅が始まる。
フランクフルト中央駅Hauptbahnhof を目指し、空港地下の空港駅に向かう。
どこから地下へ行くのかな?と少し迷っていると日本人男性が声をかけ、教えてくれた。
日本を出るとき知人から「声をかけてくる日本人には注意しなさい」と言われてきた私たちはおそらく怪訝な顔をしたのかも知れない、 その人はすかさず「あ、私JTBの添乗員なんです」と名札を見せてくれた。
さて、地下の空港駅で”Sバーンー8”を待っているのだが今度は電車が来ない。
ドイツ人らしき女性に英語で話しかけてみる。
彼女も同じ電車を待っているという。そのうちアナウンスが流れ(もちろんドイツ語で)、彼女が親切に解説してくれた。
どうやら事故で遅れているようで、隣のホームから目的の電車が入る、と。
ああ、親切な人に巡り会えてよかった、私たちだけならいつまでもこのホームのはずだと、待ち続けていたかも・・・ 電車に乗ってからも彼女はいろいろ親切に話しかけてくれて、どうしてこんなに親切なのかと考えていたら、 自分はルフトハンザのスチュワーデスだと話してくれた。なるほど。
ドイツではどこをまわるつもりか、と尋ねられて一般的な観光名所と、そうそう、明後日はハーメルンまで足を伸ばすつもりだと応えると笛を吹く真似をして笛吹男をおどけて見せた。彼女との会話を楽しんでいたためドイツでの初めての車窓の印象は残念ながらあまり残っていない。
フランクフルトHbf.の正面出口はあまり治安がよろしくないので注意せよ、という彼女のアドバイスに従って左出口から出るとほとんど目の前に今夜の宿である”hotelインターシティ”があった。
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S-Bahn、Zoologischer Gartenにて。


10月31日(フランクフルト、ライン川)
さあ!ドイツ観光の初日だ。
7:30.ホテル地下の食堂に行くと、ビジネスマン風の人々でいっぱいだ。
今日はドイツの祝日だという話だが・・・? さすがに、こんな時季はずれの観光客はいないようだ。
東洋人もざっと見渡すところ私たちだけのようだし。
さて、9:00から行動開始。
ハウプトバーンホフ(中央駅)から「U4」で二つ目のレーマー(Romer)駅へ。
Romer→大聖堂→ゲーテハウス→シュテーデル美術館の順に廻ろう。
Romer二階の皇帝の広場Kaisersaalには、歴代の神聖ローマ帝国皇帝の肖像画が飾ってあり、圧巻である。
大聖堂の受付の老父はドイツ語しか話せなく、私たちがお金を渡そうとすると、何やら困った様子で一生懸命説明しようとしている。
お互い身振り手振りでやっと分かったことには、”お釣りがない”ということ。
ともあれ、人間対人間、互いに意志を伝えようという思いは最後には通じるものだ、とここで学んだ。
332段の階段を上がってフランクフルトの街を一望。
さて、もっと観光名所一つ一つについて紹介したいものの、本HPでは「鉄道の旅」が主題であるからして、詳細は割愛させていただいて・・・・、 15:00からはライン川下りの半日ツアーに申し込んだ。現地の旅行会社なので、色々な国の人もいて楽しいが、ガイドは英語のみ。
大丈夫かなあ〜?
案の定、ライン下りの途中で下船することを聞き漏らしていて、同行の韓国人の男性が大きな声でデッキに呼びに来てくれて、隣で盛り上がっていた(その盛り上がり方といったら、まるで日本の学生の合コンか新勧コンパといったノリなのだ)白人(英語圏だった)の団体さんに大笑いされた。
その日は団体で食事をとり、20:00頃ホテルへ到着。
明日は早起きしてハーメルンへ向かう予定。
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フライブルクにて。二両編成の電車です。
11月1日(ハーメルン)
5時半に起床して6:57の「ICE778号」への乗車を目指す。
昨日下調べしてあるからフランクフルト中央駅では迷わず9番線へ。
しっかりHOETLで朝食をとってきたにもかかわらず、”フランクフルト”中央駅で”フランクフルト”を食した。
冗談ではなくこれが実に美味! 「ハンブルク方面行き」というものがいったいどれくらい混むのか予想もつかなかったが、意外に空いていて、快適であった。
「ドイツのICEにはテーブルまでついている! 座席もゆったりしていて、新幹線のグリーン車より遙かに快適だ。これで二等車だというのだから、さすがにヨーロッパ鉄道の中でも特に設備がよいと言われるDB(ドイツ鉄道)だけある。」
よし、ここで日本の友人に葉書を書こう。窓の外のドイツの景色を楽しみながら・・・ ハノーファーで「ハーメルン方面行き」のSEに乗り換えた。
9:50,目的のハーメルンに到着。阿部謹也著『ハーメルンの笛吹男』をガイドブックにして歩き出した。
(中略・・・・・・・・・・・)
帰りはハーメルンから同様にSEに乗ってハノーファーで乗り換えるも、ここからは「ICE883号」で、文化と芸術の古都、ヴュルツブルクを目指す。
今度のICEは今朝のようではなくひどい混み方で、座れない。
お盆帰りの新幹線のようだ。
食堂車に行きジュースを頼んでやっと腰を下ろす。
今夜は16世紀創立の施療院にてワインをいただこう、という計画だ。
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ICEの食堂車、Zoologischer Gartenです。
この駅は同じ名前でS-Bahn、U-Bahn、
そして遠距離列車用と言った具合に三つ
の駅があります、ICEは遠距離列車です。
11月2日(ヴュルツブルク)
さてヴュルツブルクの観光に入る前に、昨夜の話をちょっと・・・
昨夜は宿は決めていなかったので、ガイドブックなどで探し、駅から近いところをと、 「ヴュルツブルガーホフ」というHOTELに入った。
なんといっても、狙いのワインレストラン「ユリウスシュピタール−ワイングート」の目の前であったし、hotelは季節はずれということもあり、空室があった。
部屋にはいるとその広さに驚く、 前夜までのインターシティはさすがにフランクフルト中央駅前という立地条件のためであろうが、 日本のビジネスホテルそのものの狭さで、バスタブもなかった。
それがここ、ヴュルツブルガーホフは・・・そうだなあ、とんぼ返りが二回転くらいできそうな広さだし、 女性には嬉しいゆったりとしたバスルーム!
駅前でこの広さで200DMはナイスプライス!
おまけにきれいな銀紙に包まれたかわいらしいてんとう虫をかたどったチョコレートがベッドの上に置かれていた。
すぐ食事に行くつもりが、はしゃいだ私たちは写真撮影に励んで、やっと「ユリウスシュピタール−ワイングート」へ。
ここは1576年創立の施療院がワインレストランになっているのだ。
すでに9時近かったろう、女性二人には少々遅い時間かな・・・と思いながらも席に着いた。
隣のテーブルは7,8人のドイツ人らしき中年男女のグループで、私たちが通り過ぎるとき「ヤーパン?」と話しているのが聞こえた。
まずはワインとタルタルステーキを頼んだ。
このタルタルステーキがすごいボリュームなのだ。
美味しいワインに旅の疲れも加わり、すぐ気持ちよくなって私たちも盛り上がっているところへ、 注文しないワインが届いた。
隣のグループからだという、 振り返るとリーダー格風の男性が微笑んでくれている。
「ダンケシェーン」と礼を言った。
すると、中の女性が英語で話しかけてくれた。
先の男性が「これは私の妻で、私たちと君たちの間を通訳してくれるよ」と言う。
少し英語で会話した。
私たちの日本での生活や、これからの旅の行程など・・・
というわけで昨夜は楽しい時間を過ごすことができた。
さて、ここのホテルは朝食がまた素晴らしかったので、思わずゆっくりしてしまい、 荷物をホテルに預けて観光へと出発したのは10時だった。
ホーフ教会をみて、アルテ・マイン橋を渡り、マリエンベルク要塞へ。
マリエンベルク要塞の景観は想像以上に見事であった。
なんと表現したらよいか・・・荘厳・・・とでもいうのだろうか。
まさにタイムスリップして中世世界へと引き込まれていくようだった。
そして、ここで思いの外時間をとってしまい、昼過ぎにはヴュルツブルクを発つつもりが、 やっと列車に乗ったのが17:51だ。
シュタイナッハで乗り換えて、今日の目的地はロマンティック街道のハイライト?!ローテンブルクである。
18:21,ローテンブルクに到着。
現代風の町並みを7,8分歩くと、じきに中世の面影を伝える城門「レーダー門」が見えた。
この門を中世の人々も同じようにくぐったのか・・・と、思いを馳せながら門をくぐり、 一番初めにしなければいけないことは宿のget!である。
これもガイドブックを頼りに、「ロマンティックホテル・マルクストゥルム」にアタック。
そこのフロントにはまるでおとぎ話の中から抜け出たようなかわいい民族衣装(アルプスの少女ハイジ風)に身を包んだ女性がいた。
ここは、決める前に部屋を見せてくれる。
昨夜のような広さはないが、これがまた女性をうならせてしまうほどの可愛らしさで押してくる!と言うほどの可愛い内装だ。
廊下も、部屋も。
で、夕食も迷わずホテル内でとることに。
夕食を予約してから街に出た。
城壁を歩き、 ワインを買っていこうとワインの試飲をするうちにすっかりほろ酔い気分になってしまった。

さらに夕食時もワインをいただいてしまったのでこれはよく眠れそう・・・
しかし、大学の先生から「ローテンブルクでは絶対に早朝の散歩をするといいよ」と言われてきたので、明日は早起きするぞー。
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Zooの遠距離用の駅です、Inter Regioか
Regional Expressのどちらかです。
11月3日(ローテンブルク)
7時前に起床したかな・・・?
朝靄に包まれた中世の街を散歩するのは、まさにおとぎ話の中に入り込んだような錯覚を覚えた。
幼い頃読みふけったグリム童話のお姫様にでもなったような・・・
しかし今日の、日中に観光する予定である中世犯罪博物館の前に出ると、中世はおとぎ話だけでなかったことを思い知らされる。
ここは歴史学者の間でも名高い”法と刑罰の”歴史博物館である。
ここにおいては、ただロマンティック街道を「きゃー、可愛い、可愛い!」ばかりを連発しながら通り過ぎるおねえさん達もたまげてしまうような、この美しい町並みからは想像できない、中世人の生々しく時に残酷な生活の様子を垣間見ることができるのだ。
入り口からして、拷問道具の一部が陳列してあったりする。
ここから北に戻ってマルクト広場に出た。
ホテルに戻り朝食。
今日も相変わらずハイジのような民族衣装に身を包んだお姉さんがコーヒーなどを入れてくれる。
荷物をフロントに頼んで、早めに観光に繰り出した。
まず聖ヤコプ教会へ行き、リーメシュナイダーの傑作と言われる聖血の祭壇を鑑賞した。
次に、時間ごとに人を集める、ミュンヘンのそれよりもずっとおもしろいと言われるストーリー性に富んだ仕掛け時計を見る。
それから、街のあちこちで見かけるローテンブルク名物のシュネーバルというお菓子をかじる。それはひも状の生地をウネウネとまるで脳味噌のように丸めたお菓子であり、ミスタードーナツ4個分くらいの大きさはあった。
味もミスドのようなものかと予想していたので、ちょっとがっかり。感触はシャリシャリとして大味。二人で一つ買ったのに、食べきらなかった。
この季節、中世犯罪博物館は14時にならないと開かないので、それまでの間城壁をぶらぶらと歩き出した。
城壁の所々に開いているのぞき窓から外を見、その昔もここからこうして外敵を見張っていたのだろうな、などと考えたりしながら、ほとんど街を1周した。
中世犯罪博物館ではレプリカではない、本物の「鉄の処女」をみて感激(というか、なんと表現していいか)。
一見可愛い人形が並んでいると見えるジオラマも、よくみれば学校における体罰や庶民の生活の中にも浸透している拷問例を見せていたりしてホントにここはすごい!
写真撮影は特に制限されていないので、いつかラテン語をマスターして読むかもしれないと、法律や刑罰を文書に記したものなども撮影しながら、結局閉館ぎりぎりまで残り、おまけに絵はがきまで購入するというマニアックぶりであった。
17:51発のローカル線に乗り、シュタイナッハで「IR28831」に乗り、ミュンヘンへ向かった。
今夜は日本から予約を入れておいた「ゲルマニア」というホテルへ泊まる。 このフロントのお兄さんがかなりカッコ良くて、なんか話しかけるチャンスはないかと友人が言うので、「どこか夕食をとれるところは?」と尋ね、近くのピッツェリアを教えてもらい、直行。
イタリア人の店主がそれはそれは親しげに何回も話しかけてくれたこと、さっすがイタリアのお国柄?!である。
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オーストリアにて...。
11月4日
今日も早起き!
というのも、昨晩本日予定している「ノイシュヴァンシュタイン城ツァー」を担っている会社に電話したところすでに閉店していたので、いちかばちか直接集合場所へ出かけてみようと言う計画をたてたのである。
そしてそれは8時半集合、とのこと。
その前に少しでもミュンヘンの街を歩こうではないかというわけで、やはり朝靄のミュンヘンを歩く。
カールスプラッツからノイハウザー通りを通ってマリエン広場、仕掛け時計のある新市庁舎、バイエルン州立劇場、レジデンツなどひととおり旧市街を眺めてから急いでツァー集合場所のネプチューン噴水前へ向かった。
ツァーの責任者らしき人を見つけて事情を説明してみるとシーズンオフというのに、予想外にバスは満員とのこと。
がっかりして、電車を使って自力で行こうかと話し合っていたところ、先ほどの責任者が寄ってきた。
「遅刻している人がちょうど二人いる、もう少しで出発時間だから君たちを乗せられるかもしれない」。
ラッキー!出発時間が来て希望通りツァーバスでの出発となった。
これまでは電車の旅だったのに、このツァーにこだわったのは、ノイシュバンシュタイン城のほか、オーバーアマガウの町見学も含まれていたからだ。
オーバーアマガウは人口5000人ほどの小さな村だが、10年に1度行われる村人総出による「受難劇」は50万人もの見物客を集めるという。
この受難劇は1633年、ペストの退散を祈念して始められ、以来350年も続いている。
この史実に個人的にとても興味があったので、どうしても立ち寄りたかったのだ。
しかしながら、ここはノイシュバンシュタイン城とかけ持ちで一日で観光するには鉄道やバスを使うとかなり困難になるのである。
よって、本日ばかりはバスツァーに頼りたかったわけだ。
そういえば、ローテンブルクへのローカル線で、同じコースを旅している青年と知り合った。偶然ミュンヘンのホテルも一緒で、今朝朝食会場でも一緒になったが、彼はノイシュヴァンへ鉄道で行くらしい。
では、後に会いましょうということになり、それぞれの交通機関で出発となった。
ツァーはライン下りの時もそうであったが、アメリカ人が多い。
ノイシュヴァンシュタイン城は、言わずと知れたときのバイエルン国王ルートヴィヒU世が、17年の歳月と巨額の国費をつぎこんでつくった中世風の城であり、ディズニーランドのシンデレラ城はこれをモデルにしたと言われている。
しかし、私にとってはやはりオーバーアマガウの方がメインである。
少ない見学時間内で地元の書店に駆け込み、「1990年の時の『キリスト受難劇』に関するものが欲しい」と店主に依頼し、写真集と劇の台本のようなものを購入した。
店主は、にこにこしながら写真集を開いて「これは私だよ」と、自分の写真を指し、そのページに勝手にサインをしてくれた。
後日これを大学に持っていき(実はこのとき大学生?)”西洋演劇史”の先生に見せびらかすと(笑)、先生は予想以上に羨ましがってくれて、すべてコピーさせてくれとのこと。
かなりすごいものを購入したんだと、あらためて感激。宝物にしようっと!
さてさてミュンヘンに到着。
駆け足で今度は19:38のIRに乗り、ザルツブルクへ!
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11月5日
 今回の旅はたいてい早起きをしているが、今朝もまた早い。
7:00のザルツブルグ発のECに乗ってウィーンへ向かうため、6時に起床。
6時半に朝食会場へ向かったが、予想通りまだ開いていなかった。
 しかし、係りのお姉さんが親切で「準備中ですがどうぞ」と言ってくれた。
夜明け前の外が見える窓際の席へ着いた。
ほんの10分間、ザルツブルグの美しい景色を楽しみながらパンを流し込む。
 ウィーンへはECで約3時間で到着する。
9:55に「ウィーン西駅」に着いて、地下鉄でシュテファンプラッツへ。
まずホテルへ荷物を置いてから行動することに・・・。
ホテルは「グラーベン」と言って、シュテファン寺院にとても近い、便利なところにある。
このホテルは、あのカフカの常宿であったとのこと。
 とてもいい場所にある割には手頃なプライスであったが、さすがに部屋は狭い。
荷物を預け、まずは今夜のオペラのチケットを購入しに出た。
 私たちが向かったのは「連盟販売所」というところである。  ここでは、ウィーンにある4つの国立劇場、国立オペラ座、フォルクスオーパー、ブルク劇場、アカデミー劇場の、1ヶ月前から当日までのチケットを販売している。
 私たちは『魔笛』のチケットを購入した。
 それからホテル・ザッハーにてザッハトルテを食した。
ケーキそのものはとても甘く飲み物なしにはいただけなかった。が、添えてある生クリームは「これぞ”乳”そのもの!」という感じで旨い!これがほとんど甘さがない。先の甘〜いケーキとともに頂くことでまあ、バランスがとれるといえば、とれるかなぁ・・・。
それにしても、繊細な味を織りなす日本のケーキの方が勝ち!と思った。
ふと窓の外を見ると、リンク内を走る観光用の馬車が見えた。
「乗りたいねー、いくらかな?」と友人と話しているとその馬車と重なる視界のうちに、ローテンブルクやノイシュヴァンシュタイン城でいつも行き会っていた青年が見えた。
「あ!彼も誘って乗れば一人あたりの運賃が安くなる!」などとセコイことを考えた私たちは、大急ぎでザッハーを飛び出して誘った。 承諾(しぶしぶ?)した彼と3人で馬車へのりこんだ。 結構恥ずかしいが、ヨーロッパの街を馬車で走る、というのを一度やってみたかったのだ。  そのあと、グラーベン通りのペスト記念柱の前で何枚もアングルを変えて写真撮影。 既に記したが、私はペストを巡る史実に興味があったので、ペスト関係の文献には必ず載っているこのバロック彫刻建築のペスト記念柱を”生”でみることができたことに感激した。 特に中世から近世にかけ、ヨーロッパは何度となくペスト流行に悩まされたが、1679年、ウィーンの街もペストにを襲撃された。その終焉に際して皇帝レオポルド1世が神の加護に感謝の意を込めて、この記念柱をたてたのである。  その後シュテファン寺院に行き、地下のカタコンベツアーに参加、ペストで亡くなった約2000体のしゃれこうべがあった。
さらにぞっとするものとして、ハプスブルク家の人々の心臓以外の内蔵も骨壺のような容器に納められていた。
では、心臓は?
それを求めて・・・、というわけではないが、次なる見学地はカプツィーナ教会(皇帝納骨所)である。
 ここはハプスブルク家の、日本でいうところの菩提寺で、歴代皇帝を含む146の遺体が安置されている。
 女帝マリア・テレジアや悲劇の皇后エリザベートの棺には花束が多かった。  しかし、心臓はここにもなく、アウグスティーナ教会にあるのだそうだ。さすがにそこまで追うことはやめた。
 名所巡りをこのあたりで終了して、『魔笛』にそなえる為に、ホテルに戻った。
 そして、一応オペラの鑑賞なので、少々めかし込んで(笑)フォルクスオーパーへ向かった。
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11月6日
シェーンブルン宮殿
ああ!とうとうこの旅行も残すところあと1日になってしまった。
ホテルで朝食をとり、8:30に出発。
目指すはシェーンブルン宮殿だ。
かのマリー・アントワネットがフランス、ブルボン王家に嫁ぐまで、夏の宮殿としてここで育っている。
モーツァルトがはじめて御前演奏したのも、 映画「会議は踊る」でも知られるところの、ウィーン会議の大饗宴の場となったのもここである。
すなわち、シェーンブルン宮殿を見なければウィーンを語れない(らしい)。
シェーンブルンまではU1一つ目のカールスプラッツでU4に乗り換え、6つ目のシェーンブルンで下車する。
この宮殿はおよそ10年前に完成したブルボン家のベルサイユ宮殿を意識したとも言われ、ハプスブルク家の権力を誇示するものとして当初はベルサイユをはるかに凌ぐ大規模な計画がなされたという。
部屋数1,441室、ボヘミアンクリスタルのシャンデリア。
豪奢の限りを尽くした装飾の数々に嘆息しつつ、歩いた。
庭園内を、写真を撮りながら散歩する。
その他宮殿の敷地内にある馬車美術館や動物園、大温室なども見学したかったのだが、なにせ、忙しい旅である。
午後の予定を考慮するとここは午前中に終えなければならず、再訪を期し、駅までもどった。
デーメル
昼過ぎにシュテファンプラッツに戻り、本日は昨日のザッハーとの比較のためデーメルへ。
ここでもザッハー・トルテを注文する。
どうして双方に「ザッハー・トルテ」があるかといえば、1930年にまでさかのぼる。ここではそれについての言及はしないが、この標示をめぐって10年に及ぶ裁判をしており、1962年に結審。
双方とも「ザッハー・トルテ」を生産、販売してよいことになった。
まあ、食してみての違いはと言えば、ザッハーのそれにはあんずのママレードが入っていて、デーメルにはない。
それと、ザッハーのは生クリーム添えだったが、デーメルでは生クリームが別注文になっていた、 両方ともやはり日本人の味覚には甘すぎる・・・。
昼食は、ドイツ滞在の時にも利用した魚介料理のチェーンレストラン、Nordseeでとった。
このレストランはセルフサービスで目の前の料理を指せばいいので、ドイツ語が出来なくても簡単!
プラーター
昼食以降、はじめて友人と別行動をとってみることにした。
彼女はもう少し王宮を究めたいし、私はどうしてもプラーターに行ってみたかった。
U1プラーターシュテルンで下車すると大観覧車が見えてくる。
プラーターの森はもともと王宮貴族の狩猟場だったが、1766年民衆王ヨーゼフ2世が一般に開放した。
広大な自然公園に、大遊園地が設けられている。
なぜプラーターに行ってみたいかと言えば、映画「第三の男」で有名な大観覧車に乗ってみたかったのだ。
「第三の男」を観た人は多いと思うが、O・ウェルズがこの観覧車の上で興味深い「悪の哲学」を語る。
その哲学については私は全く嫌悪感を覚えたわけでは・・・ない。
なんだか吸い込まれていくような台詞だったのだ。何を言ったか知りたい方は是非必見! その心境を味わってみたく、乗ってみた。
そして私が何を思ったか・・・?はここで展開するには危険?なので控える(?)。
まあ、遠く見渡せる旧市街の景観が美しくて、写真を撮りまくっていたが(*^^*)。
ハイリゲンシュタット
プラーターを出て、次はベートーベンゆかりの地ハイリゲンシュタットまで行ってみることにした。
ハイリゲンシュタットは閑静な高級住宅街で、夕方近くなって着いたときには観光客も見あたらず、ひっそりとしてなんとなく寂しかった。
それでもベートーベンが聴覚の戻らぬことを悲観し、遺書を書いたとして知られる「ハイリゲンシュタット遺書の家」に着くと、西洋人の観光客がちらほらといた。
閉館ぎりぎりで見学し、今度はリンクへ戻る手段を考える。
今までもずっとガイドブックだけを頼りに歩いてきたのだが、今回はひとりきりというのと、夕暮れで視界も悪くなってきたのと、 はじめての路面電車というのもあり、時刻表を見ても、なんだかはっきりせず、自信がない。
それでも何とか乗って、乗り合わせた初老の婦人に”リンクへ戻りたいがこれでいいでしょうか?”と尋ねると、 「ええと、一生懸命英語を思い出すわね」とゆっくりゆっくり説明してくれた。
その親切心がとても嬉しかった。
美術史美術館
ようやく友人と待ち合わせた美術史美術館へ到着。
17:00でちょうど日が落ちた。
たった1時間半しか見学できなかったのは残念だったが、それでも見応えは充分だった。
見取り図に自分で動線をつけ、計画的に観てまわった。 この美術館の絵画コレクションは歴代ハプスブルグ家の収集家達によって集められたもので、宮廷美術館である。

ルーベンスとブリューゲルのコレクションの多いことで有名である。
ブリューゲルの『バベルの塔』は何と言っても圧巻であった。
私個人的にはティツィアーノ、ティントレット、ラファエロなどの品揃えの豊富なことも気に入った。
今回の旅で自然史博物館を観られなかったこともまた無念きわまりないが、これも再訪を期したい。
「エリザベート」
そしていよいよ日本から予約しておいた「エリザベート」の観劇である。
U2にのってアン・デア・ウィーン劇場へ。
昨夜のフォルクスオーパーの方がフォーマルにめかしこまなければ行けないと思い、お洒落をして出かけたのだが、実は今夜のアン・デア・ウィーン劇場のほうがなんだか皆、かしこまっている。
そして劇場内も豪華である。しまった!観光帰りの私たちはちょっとカジュアルである・・・(^^;;    シャンパンは私の好きな「モエ・エ・シャンドン」であった!
「エリザベート」は宝塚でも観劇したので、ドイツ語がわからなくとも、内容は理解でき、昨日より余裕を持って鑑賞することが出来た。
アン・デア・ウィーン劇場内には、悲劇の皇后エリザベートに関する写真、装飾品などの展示も設けられている。
最後の晩餐・・・「12使徒」
今夜の晩餐は最後の晩餐。洒落のようだがZwolf Apostelkeller「12使徒」という名のお店でとることにした。
12世紀に造られたというこの地下レストランは石の壁やら装飾にその歴史を十分に感じさせてくれる。
ウィーンの代表料理、ウィンナ・シュニッツェルとワインを注文し(もちろん他にも)、ちょっとほろ酔いでいい気分♪ ああ、明日は帰国だ・・・でもこの旅、本当に楽しかった!
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